「罪を憎んで人を憎まず」
の本当の意味がわかりますか?
「悪人が何かをしでかしても、悪人そのものを憎むのではなく、罪を裁き、二度と犯さないようにするってことでしょ」
ってみんなが思ってると思います、
ボクもそう思います。
でも大事なのは逆。
悪人ではなく、善人(もしくは、善人だと思っていた人)が何かをやらかした時なんですね。
こういう時、
人間不信に陥ったり、
その人の人間性を非難したくなったり、
なんなら抹殺したくなったり、
してしまいそうになるんですけど
罪を憎んで人を憎まず…というのは
「誰が」ではなく「何が起きた」という事柄にフォーカスするってことなんです。
つまり
「あいつがあんなことをした!むかつく!」
「もう誰も信じられない!」
と人にフォーカスするのではなく
「こういうことが起きないようにルールを作ったほうが良い」
「防ぐためのシステムも必要だよね」
というモノにフォーカスすると
心も楽になるし、
そもそも相手の人間性に任せていては、残念ながらいつかまた同じことが起こるのです。
だから、
ほんと仕組みやルールを変えるしかないんですよね。
信頼関係にだけ頼っていては
必ず何かは起こります。
だからこそ
「罪を憎んで人を憎まず」
が大事になってくるんですよね。
商売人は信用の世界ですから、
信用だけで成り立つのが理想なのですが
それだけで世の中が成り立てば、警察も弁護士もいらないわけです。
罪を憎んで人を憎まずというのは
ある意味で、人が変わるのを諦めている言葉でもあります。
キリストはかなりリアリストだったんじゃないかなーと思うのです。
