雑記

問題はあなたに何かを教えようとしている。

子どもの問題は、自分の心の鏡でしかないかもよん。

先日、受講生さんから

「息子がチック症で困っている」

とのことで相談をいただいたのですが

学校では頑張って生徒会に立候補したり、頑張ってる
プレッシャーで、口を鳴らすチック症が出る。

とのこと。

「え、それ息子自慢にしか聞こえませんwww」

だって、
自分がプレッシャーを感じることに自ら挑戦して
チック症が出ても、友達がいて、仲間がいて、本人はあまり気にしてなくて

普通にいい息子さんの話ですよ、それ。と。

息子さんのチック症は個性であって【問題】ではないんですよね。

それを「問題だ!」と決めて、問題に仕立て上げているほうに

実は問題があるんですね〜。

なぜなら、その息子さんは鏡でしかないから

自分の中にある問題を、息子さんのチック症を通して見ているから。

なので
「チック症、何が問題なんですか?」と聞いたのです。

まるで何も知らない赤ちゃんや、地球人のことを何も知らない宇宙人が
ただただ純粋に「何が問題なの?」と聞くのと同じです。

そしたら

「みんなが勉強している時にチック症が出たら恥ずかしいし迷惑」

とのこと。

でもこれはね。

息子さんを鏡として、自分を見ているんだね。
つまり主語を変えると

みんなの前でチックが出たら恥ずかしいし迷惑➔わたしはみんなに変に思われたり目立つのが怖い。

ってことなんだよね。

つまり、息子の問題じゃなくて

「みんなの前で変に思われたり、目立ちたくない」

という自分の心を、息子という鏡を通して見ている状態。

みんなの前で変に思われて、
つらい思いをしたこととかって
幼少期にありますか?とヒアリングをしたら

その方
小学生の頃に、女性だけどサッカーが好きで
なんの偏見も持たずに、近所にいた30歳の知的障害者の人と
サッカーをして遊んでいたそうな。

でもそれをクライスメイトに
「何変なやつとサッカーしてんの?」
とからかわれ、サッカーをすることやめてしまったと。

そう

この時の心の傷がまだあるんです。

だから「息子がチックで変に思われるかもしれない」という現象に
自分の傷を投影していたんだよね。

知的障害者で、30歳の友達と
小学生のサッカー好きな女の子。

偏見や常識のない
ただただ、ナチュラルで
ただただ、純粋で

地球社会の偏見に染まった地球人からすれば
変なコンビが、サッカーをしている。

でも、これを壊されたことが
本来のナチュラルな彼女が

「変なのはダメなんだ」
「地球のルールに則って生きないといけないんだ」

というエゴを得てしまい

常識人として、普通に生きることを決断してしまった出来事なんだよね。

息子さんのチック症は
「普通じゃなくていいんだよ」
「個性があってもいい、それでも友達がいて、挑戦することもできて、楽しく生きていけるよ」

ということを、伝えるために
起こった現象なのかもね。

すべての他人は、あなたに何かを教えに来ている存在だからね。

セラピーで、過去の自分に会いに行って
サッカーをからかわれて「もうやめようかな」って思っている幼い自分の手を取って

「あなたは、あなたらしくていいんだよ」
「変に思われたって、あなたは悪くないよ」
「あなたの思うことをしていいんだよ」

と声をかけてきてもらったんですね。

傷が癒えて
息子のチックも愛おしくなる。

ナチュラルな自分を取り戻した時、
すべては愛なんだと気づくんよね。

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