雑記

被害者と加害者を創り上げているのは自分。

親との傷を癒やしていないと、人と良好な関係を作れなくなるよん。

もう7年以上前ですが、
ある障害者施設で働く福祉系職員の方に

「障害者の人はこれを望んでいるし、こうしたほうがいいのになんでやらないんですか!って提案をしても経営者層がわかってくれない、どうすればいいか」

という相談を受けました。

それに対して僕は

「最初っから経営者の人を責めるんじゃなくて、経営者の人はこういう悩みがあるから、その悩みも解消できますよって相手目線で伝えると受け入れてもらえますよ」

とプレゼンの方法を伝えました。
(当時の私は遠慮がないストレートな物言いしかできませんでした。笑)

すると

「経営者に悩みがあるなんて、考えたこともなかったです」

と納得してくれたのですが…

これって

経営者=上の人・権威者

は、分かってくれないし、私たちをコントロールする。

という被害者意識から

自分(弱者)VS権威者

という構図を、自分で作り上げているんですよね。

自分を被害者にして
権威者を加害者に作り上げるのは

親とのトラウマが解消されていない人に
たまに見られます。

それは、かつて親が

自分をコントロールしたり、抑圧してきた怒りを

先生・上司など、権威者に投影しているんです。

つまり

親(加害者)
自分(被害者)

という構図を、誰かを親役にして、
再演しているんですよね。

例えば、政治に対して過度な怒りをもって
ずっと文句を言っている人もそうです。

政治家=権威者(親の代わり)

なので

親への怒りを投影します。

だから、ずっと政治家に怒ってる。

起業しようとして、起業コンサルとかをつけると

「こうしてください」
「これはこうしたらダメですよ」

というアドバイスを
【親からの命令・コントロール】として投影して

コンサルの言う事を無視したり
「あなたのコンサルに疑問があります」
とクレームを言ったりして

コンサルとの信頼関係を破綻させます。

当然ですが、そうしていると起業では成功できません。

また、自分の要求が

「こういうルールなので」
「契約的にこうなんです」

と、言われて通らない時に

親にコントロールされた怒りを強く投影して
クレーマーになる人もいます

役所で怒鳴る人とか、
コンビニの年齢確認にキレる人とかね。

このように
自分を被害者にして
権威者(ルール側、指導者側、運営側、上司側など)
を加害者にして

親と自分の関係を再演してしまう人がとてもとても多いのが
日本に多く見られる社会的な病理なんですよね。

迷惑ですが、本人たちも苦しんでいます。

しかし本人は
「自分は善人」
「自分は正当」
だと思っているので、
なかなか気づきません。

権威者(悪)VS被害者(弱者であり、善)

という構図を作るので

例えば最初の例のように

権威者(経営者)VS労働者&障害者

という構図で、権威者を悪者にします。

そしてこれは無意識だし、本人は善意なんですよね。

だからよけい気づきにくい。

そして、
自分の弱さを他人に投影して「かわいそうな人」を作り出します。

本当は自分が傷ついていて、救われたいのに

難病や貧困の可哀想な人達を見つけては
「かわいそう」というエネルギーを発します。
(それが良いとか悪いとかじゃなくてね)

24時間TVとか、そういうのが好まれるのも
親との傷をかかえたまま

かわいそうエネルギーを発したい人が多いからです。

毒親が【虐待された子どもたち】の特集を見て
「かわいそう…」って泣いてたりするじゃないですか。

さて、

かわいそうエネルギーは、かわいそうな人達を作り上げます。

だから、

幸せに生きている障害者を見ては

「かわいそう」

と言って憐れみます。

前向きにリハビリをしている障害者を見ては

「かわいそう、誰か助けてあげて」

と言って救いたがります、余計なお世話です。笑

気楽に生きている発展途上国の人を見ては

「かわいそう」

と言って憐れみます。

障害者だからといって、不幸とは限りませんし
発展途上国にいるからといって不幸ではありません。

でも、自分が不幸だから

「かわいそう」といって

障害者に不幸を投影します。

海外を旅して、現地の人とお酒を飲んだり歌ったり、一緒に遊ぶとわかるのですが
発展途上国にいる人は
むしろ、日本人より気楽に生きている人が多いです。

僕は、発展途上国の人と現地で一緒に暮らして
男2人で同じベッドで寝泊まりしたこともありますが(そういう関係じゃないですよ。笑)

日本人より不幸だなんて思えません。

友達も多くて
趣味も生きがいもあって
お酒飲んで、美味しいもの食べて
楽しく暮らしています。

もちろん、人間なので普通に悩みもあります。

でも、日本人より不幸なんてことはありません。

しかし、かわいそうエネルギーの人は
自分が不幸だから

「かわいそう」といって

発展途上国の人に不幸を投影します。

他人に対するかわいそうは、自分の内側を投影しているんですよね。

本当は他人を救いたいんじゃなくて、自分が救われたいんです。

それを他人に投影しているんですね。

それが良いとか悪いとかじゃなくてね。

そして、かわいそうな人を作るために「加害者」を創り出す。

誰かを悪者にして、誰かを責めないといけない。

だから自分の親への怒りを、権威者に投影します。

「政府はかわいそうな人を支援してない!」とか
「この施設の経営者はわかってない!」とか
「私の要求を、ルールだからといって受け入れないのはおかしい!」とか
「心が弱い人もいるんです、業務的に応答するのはどうなんですか!?」とか

なぜなら、被害者という役割を演じるためには
加害者をキャスティングする必要があるから。

だから、潜在意識レベルでも、モラハラを引き寄せる。

地球が悲鳴を上げています…は
私が悲鳴を上げています!…なんです。

日本はこのままだと絶望!…は
私はこのままだと絶望!…なんです。

捨てられた子犬がかわいそう!…は
私はかわいそう!…なんです。

食の安全が心配!…は
私は不安でいっぱい!…なんです。

全部、自分の内側の投影。

だから

「あ、私、ずっと被害者と加害者のドラマを創り出してるなあ」

って気づいたら

それはもう、親とのトラウマを

癒やすタイミングにやってきたってこと。

自分を投影して「誰かを救いたい!」と行動しても
実は救いにもならない。

でも、自分を癒やしたうえで
「あの人を救ってあげたい」と思うなら

上から目線の「救ってあげる」じゃなくて
「一緒に歩もう」という横目線になる。

だからこそ、本当に人は救われるし、救うことができる。

本当は救うなんて表現すらおこがましい。

本当は「一緒に立ち上がる」なんだよ。

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