「悪い人たちじゃないんだけど
なぜかここにいると疲れる…」
そんな経験ってありませんか?
それってみんなが
・こうありたい自分
を演じているコミュニティだったりするんです
例えば
【良い人である自分】
とか
【成功者の仲間である自分】
とか
【キラキラ夢を追っている自分】
とか
そういう願望的な自分を
無理して演じている集団に入ると
繊細さんほど、違和感をかんじとって
なぜか疲れてしまう。
でも、無理して演じようとするってことは
良い人でありたい=素の私は善人ではない
ポジティブでありたい=本当の私はそうじゃない
という前提が入ってしまっているので
演じれば演じるほど
自己不信が高くなってしまうんですよね。
で、自己不信に陥るから
よけい不安になってザワザワして
無理に演じようとしてしまう。
人間というのは
良い人である私…とか
ポジティブで成功に向かう俺とか
成功者の隣でキラキラしている私とか
なんらかのポジションを取ろうとするんだけど
(それ自体は悪いことではないよ)
でも、ポジションを作っても
無理に自分を演じれば演じるほど
ポジションが消えたら理想の自分では
いられなくなるから
自己不信も、不安も加速していく。
ポジションとか理想の自分像とか
そういうのを超えて
ありのままの自分を愛することができれば
自己信頼が高まって
安心感に包まれるのですよね。
そのためには
自分に許しを与えること。
「周りにキラキラした成功者に見られる私」
の裏には
「他人に評価されない自分に価値はない」
というジャッジがついているし
「良い人である自分」
の裏には
「良い人でなければ価値がない」
というジャッジがついている。
しかもそれは
愛される自分であるためには
〇〇な自分でなければいけない。
価値がある自分であるためには
〇〇な自分でなければいけない。
という条件まで
自分で自分につけてしまっている、無意識に。
そうやって条件をつけるから
ありのまま愛されることや
素の自分に価値があることを
許すことができない。
自分自身を許すことができないから
よけいこじらせていく
私は評価されなくてもオーケーだし
価値なんてもんは、なくてもオーケー
私は私のままでオーケー
と、自分に許可を出すと
すべてがうまくいくんですよね。
この許可出しは、エゴは怖がります。
でもやってみ?
潜在意識は最高に安心するから。