雑記

生きることも、死ぬことも、尊い奇跡

僕達は「死」を悪いこととして

断定している。

死は悪いことで

生きるのは良いこと

「人の命は地球より重い」とかね。

本当にそうかな?

蝿の命だって

微生物の命だって

全部平等

地球より重いなんてことはない

そもそも僕らは

実はずっと生きているようで
常に死と新たな誕生を繰り返してる

「私は生き続けてる」
と顕在意識は思い込んでいるけど
実は「死んで生まれて」を
繰り返し続けているんだよな。

腸の細胞は数日で入れ替わる
肌の細胞は一ヶ月で入れ替わる
血液は4ヶ月で入れ替わる
肝臓は半年で入れ替わる
骨は10年で入れ替わる

僕らの体は10年で
生まれ変わってる

つまり、10年前の僕は
とっくにこの世界にはいない

それは死であり
同時に今の自分が産まれている
誕生でもある。

もし、僕が山の中で
静かに息を引き取って
虫や微生物に分解されたら
それは死ではなく
僕という細胞が
大自然という大きな生命の中に
還っていっただけということ。

それって、今まで
ウンコしたり(ウンコが自然に還る)
細胞が死んだり産まれたり
しながら生きてきたのと
何が違うんだろう?

つまり、
今生きている(と思っている)
この状態も
死んでしまった(と思われている)
という現象も
実はたいして変わらないんだよね

自我があるかないかだけの違い

なのに僕たちの自我は
過剰に死を恐れる。

だから僕たちは自分に名前をつけ
古田 徹は生きている間
ずっと古田 徹である…と
自我同一性をもたせようとする。

つまり自分はずっと自分で
ずっと存在し続けていると
思い込もうとする。

でも10年前の自分と
今の自分では
細胞は総入れ替えしているんだから

とっくに違う人間なんだよね
名前や戸籍が同じだけwww
本当は記憶すら曖昧。

それを「自分はずっといる」
と自我は安心しようとする。

でも昔の日本人は潜在意識で
それを理解していた、だから。

昔の日本人はステージごとに
名前が変わっていくんだよね

幼名➔元服➔通名➔隠居名

昔の日本人ってすごいよな
ちゃんと成長ごとに
人間が変わるって理解してる。

死を悪いこととして
過剰に拒絶するから
僕たちは生きることすら怖くなる

でも違うんだよ。

僕達は常に生まれ変わっていて
入れ替わっていて
常に生と死を循環してる。

昨日の自分はとっくにいないし
10年前の自分は細胞すら残らない

今のあなたは今存在する
明日は存在しない
でもそれは循環であって
悪いことではない

生命の歓びを噛み締めながら
気楽に生きていこうじゃん

死は悪いことではないと
受け入れた瞬間

生命は喜びに満ち溢れる
生きることが歓びになる。

生を全うするからこそ
死を全うすることができる。

枯れ葉は土に還り
動物は微生物に分解され
星は崩壊すればブラックホールになる
僕達の体は
毎日5万個の細胞が死滅し
同時に5万個の細胞が誕生する。

この宇宙は生と死の循環で出来ている
一緒に、楽しく、気楽に生きよう。
今ここに生きていることが奇跡
命を存分に楽しもう。

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