僕たちのエゴ(自我)はドラマや刺激が大好きで、退屈が苦手なので
刺激的でドラマティックな人やモノが好きです。
しかし、本当に心が整っていて幸せな人ほど
日々を淡々と過ごしているのでドラマとは無縁です。
そして、自然と当たり前のように願望実現をする人生を送っている人ほど、当たり前すぎて意識をしないのでドラマ性がありません。
例えば「潜在意識で臨時収入を引き寄せたー!」とSNSで大騒ぎをすれば
なんかドラマティックに見えますが
例えば僕なんかは毎月数万〜数十万は、株式投資から臨時収入が入ってくるのですが
日常として当たり前のことなのでチラッと数字を確認して終わりです。
いちいちSNSで報告とかしません。
嬉しい気持ちはありますが、農家の人が、日々野菜を収穫するのと同じようなもので、大騒ぎしたりしません。
大騒ぎをするのはそれがその人にとって、当たり前ではないことだからです。
日々願望実現できている人ほど、毎日を穏やかに淡々と過ごします。
内面が穏やかで幸福な人ほど、派手な消費をしなくても満たされるので、あまり目立つことをしません。
もちろん、僕も
たまにうちのセラピストさんたちと高級レストランに行ってみたり
社交パーティーに出かけてみたりすることもありますが
それ以外の大部分を占める日々の活動は、穏やかで地味です。
日々の中で楽しいことは例えば読書で、近所の図書館で小説を借りて部屋で読んでいます。
客観的に見たらただ本を読んでいる人で
地味で、なんともない光景ですが…この時間、僕の内面は非常に豊かです。
ほとんどの人は
お金を大量消費しないと幸せになれないとか
他人から見て幸せに見えることをしないと、幸せになれないと思い込んでいますが
内面が豊かであれば、消費は必要ないし
人からどう見えるかなんてどうでも良く
土をいじってるだけで豊かで幸せな人もいれば、本を読むだけでいい人もいれば、音楽を聴くだけでいい人もいます。
内面が整っている人ほど、地味で小さな事に感謝をして幸福を感じるので
客観的に見たら地味に見える活動でも、日々淡々と幸せに過ごすことができます。
なので、SNSの発信も自然と穏やかで淡々としたものになり
ドラマ性はなくなっていきます。
もちろん、ドラマ性があったほうが人目を引くので人気が出ますし
カリスマ的になっていきます。
そういうやり方を否定しませんが、そのやり方を捨てない限りはトラブルや内面のモヤモヤも
ずっと同居することになります。
日々を穏やかに過ごして、たまに遊園地に行くのと同じでドラマティックなこともしてみるくらいが
いいんじゃないっすかね
なぜ、人は過度にドラマや刺激を求めるのか?
それは欠乏感や不足感があるからです。
でも、ドラマや刺激で欠乏感や不足感を埋めたところで
次にやってくるのはまた欠乏感や不足感、渇望感です。
なので、この無限ゲームは終わりがないんです
でも、自分に…穏やかな豊かさを感じることを許すと
この無限ゲームから降りることができます。
そうやって日々のベースを穏やかにする生き方がおすすめっすよー。
ドラマや刺激を否定しているわけじゃなくて、バランスの問題っすな。