「お陰様」ってとても美しい日本語だと思ってて、木の陰があるからこそ、暑い日でも涼むことができる。
でも、木のありがたみって普段は意識しないし、あって当たり前だと思ってるし、なんなら存在って忘れるじゃん。
これって、身近な人のお陰様を忘れるなって意味がこもった言葉だと思うのよね。
家族とか、仲間とかもそうだし
手放して初めて「お陰様」だったことに分かることって多いよね。
起業で言うと、親しくしてくれた人と離れたとたん、集客が落ちたりする、実はその人の存在感とか、その人を知ってから自分のことを知ってくれる人が多かったとか、その人が口コミしてくれてたとか、
離れて初めて分かったりするんだよね。
だから「私の力で集客してる!」なんておごり高ぶらないほうがいいよ。そうやって落ちてしまう人もいる。
邪魔だと思ってた人が、実はものすごく貢献してくれる存在だったってこともある。
自然界を見たって、いっけん役に立ってるのかわからない生き物がめちゃくちゃ重要なポジションにいたりする。
身近であればあるほどお陰様はわからなくなる、近すぎると見えないから、でもあなたの後ろに大きな大きな木が寄り添ってくれてるのかもしれない。
それはパートナーかもしれないし、子どもかもしれないし、メンターかもしれない、仲間かもしれない。
どんなに頭が良くても体力があってもスキルを学んでもマインドがすごくてもスピ能力があっても、人間の差なんて微差にすぎない。
人間は一人では生きていけないか弱い存在ということを認めて、赦して、感謝していきたいね。