雑記

本物の信仰とカルトの違い

信者…というと、どんなイメージがありますか?

僕は悪いイメージを持っていました

カルト宗教みたいなやり方の教祖ビジネスみたいなのを見ると、心がザワザワして

あんなのやって幸せになるのか?
集まってる人もエゴの塊なんだろうな…そう思っていました。

というか今でも思ってるんだけどw

でも思ったのが

信者って実は種類がある。

カルト的な信者と、本当に気高く美しい何かを信じる者

例えば「宗教に属さないと生きていけない」という不安から来る信仰心と

太陽の美しく壮大なパワーに魅せられ、感動と経緯から来る自然信仰

同じ信仰でも全然違いますよね。

カルト的な信仰というのは

・あなたには罪がある

・あなたは欠けている

・この教えがないと救われない

・いつか地獄に落ちる

という不安から来るものや

・あなたは選ばれた救世主だ

・あなたこそが神の代理人だ

という条件付きの承認

条件付きの承認は、根っこは不安や無価値感なので、これも不安からなんですね。

なぜなら、救世主ではない私には価値がないって言ってるのと同じだから

一方で、カルト的ではない信仰って

・世界はあなたで、あなたは世界

・あなたはそのままでいいんだよ

・あなたというだけで価値がある

という、無条件の受容が元になる。

例えば自然信仰(アミニズム)

自然というのはすべてを受け入れジャッジをしません。

だからこれは、カルト的じゃなく美しく気高い信仰心。

実は僕

カルト宗教の構造とか心理とかめちゃめちゃ詳しいんだけど

(心理学として興味深いから)

あえてカルト宗教の逆をやることで、うちのセラピー協会もカルト的にならないようにしてるんだよね。

まあカルト的な信者ってキモいんで、そういう人たちに囲まれたくないしw

でも気づいたのがさ

「私はいるだけで価値がある」

「私はここにいていい」

「私は十分な価値がある」

そう思えるコミュニティを作って「自然とここに貢献したくなる」依存せず、自分軸を持って

そう思ってもらえるならば、それはカルト的ではない美しい本物の信仰心なのでは

って思うんだよね。

そういう意味の信者であれば素晴らしいんじゃない?って思う。

・カルト的信仰は、依存させて自由を奪う

・本物の信仰は、自立させて魂の自由を与える

・カルト的信仰は、自己否定を刺激する

(または偽物の条件付き自己肯定感)

・本物の信仰は、素の自分を受容する自己肯定を作る

・カルト的信仰は、不安と依存でつながる

・本物の信仰は、安心感でつながる

これからはカルトではなく、本物の美しい信仰

そんな時代になればいいなって思う

みんなそれぞれ信じるものがあったり

別に何も信じてなくても、オッケーな人もいたり色々だけど

信じるのが、不安から来ているのか
安心から来ているのかって大事

「ここにいると安心」っていうのが「ここにいないと不安」なのであれば、それは安心ではなく不安からの信仰。

本物の信仰は、どこにいてもどんな私でも、私は私だからそれだけで安心

ってなるもんじゃねえのかなあ

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